『ここは退屈迎えに来て 』
同世代よりちょっと下の、地方とまではいわなくても郊外の共学育ちなら、この小説の雰囲気はヒリヒリするほどわかるのではないかと思う。この小説のせいなのかどうかは知らないけど、イオンモールと地方の商店街の衰退がネット上でトピックになっている。ふとワシントン州に滞在した2か月あまりのことを考えると、Redmondに限らずSeattle郊外は似たようなもので、モールがあって古い商店なんかはほとんどなかった気がする。若者の車離れみたいな論調もよく聞くけど、都会に出ることなくほんとうにイオンモールで満足してるならば車は必須なんじゃないかしら。
紡木たくのホットロードが実写版で映画化されるらしいけど、現代版にアレンジされるなら地方のイオンモールはきっとカットインしてくるんだろうな。
『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方 』
著者の伊藤さんが津田さんのラジオにゲストで出たのを聞いてひきこまれて読んでみた。
以前にwordpressのカスタマイズやるweb制作を会社の仕事とは別でやったことあるけど、あれはキツかった。PG自体は全然問題ないんだけど、お客さんと話するのが苦痛で仕方なかった。振り返ればもっといろいろやり方はあったはずだし、ナリワイのひとつにもできたかもしれないなと思う。
床張りとかシェアハウス運営とかモンゴルツアー旅行企画とか、いくつかの例が提示されている。3万円稼げるナリワイ、なんか考えてみよう。今の仕事しながら何かやるなら土日に詰め込むんじゃなくて、平日のなかに組み込みたいなと思う。そこで勤め先で弁当売ったら買ってくれるひといるだろうな、と思いついた。会社にヤクルト売りにくるひとがいるんだから、ダメということもないだろうし。
『不格好経営―チームDeNAの挑戦』
同じ時代にITやらwebサービスやらに関わっていたのに、ほんとうに最近までこの会社のことなんて知らなかったのが不思議ではある。35歳過ぎてからでも情熱をもって仕事に取り組めば、こんなうらやましい青春の二頁目を過ごせたのかもしれない、と自分を振り返ってしまった。
自分のことを論理的で左脳で考えてますって主張する女性が、てんやわんやしてる姿というのは直接関わりのない他人から見ると微笑ましいことに映るみたいですね(棒読み)。
『想像力なき日本ーアートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』
『知の逆転』
ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』をずっと読みたいと思ってるのだけどハードル高かったのでこちらを手に取った。すごいひとばっかりなんだろうけど、一番しっくりきたのはakamaiのトム・レイトンの話だった。それぞれのひとに宗教観と推薦図書を聞いたのはよかった。ウォールデンは、ずっと読みたかったんだ。
- 新たな人間関係を築き、新たな興味をつちかうことで、宗教なしでも喪失感を癒すことができる
- タコは高い知能だけでなく、意識、自己といったレベルの認識力が備わってる可能性がある
- ボットが枕カバーに枕を入れることはまだ難しい。アイボはかわいいけど役に立たない
『小さなチーム、大きな仕事―37シグナルズ成功の法則』
わたしはこういう翻訳っぽい文章がわりと好きなのでまったく気にならないけど、最初読みづいらいと思うひとはいるかもしれない。目次からして素敵である。とくに「生産性」「競争相手」「ダメージコントロール」「文化」、よく言われてることではあるけれど改めてメモしたい。
- 2時間で終わると思ったタスクが16時間かかっていたら、その努力は時に無駄な働きすぎだ。2時間で済むと評価した瞬間にはそれだけの価値があったけど、この16時間で他にたくさんのことができたはず。さらに自分自身をフィードバックから遠ざけている。メンバーの一人が2週間以上の時間を費やしてたたら他のメンバーに見てもらう。直接手がかせなくても再検討して意見がもらえるかもしれない。やめることが最善の方法になりえることもある。
- 競争相手を打ち負かすには、何事も相手より「少なく」することだ。簡単な問題を解決して競争相手には危険で難しくて扱いにくい問題を残す。ひとつ上をいくかわりにひとつ下回るようにしてみる。
- 間違いを自分のものにする。メッセージはトップから発する。最上位の人間が力強く指揮をとる。ノーコメントはなし。人間として謝罪し事故の詳細を説明する。誠実に顧客のことを考え行動でしめす。顧客サービスでは完璧でなくていいから素早く反応する「ちょっと調べて折り返し連絡します」だけで良い状況に転じることもできる
- 文句は放っておく。ポジティブな意見よりネガティブなほうがうるさく情熱的だ。聞いていることを示して不満を理解していることを知らせる。でもしばらく様子を見たいとはっきり言う。ひとはいずれ自分たちで変化に対応する。
- 規則はそんなに起こらない状況に大げさに反応した傷跡で、一人の間違いに対するみんなへの罰だ。大げさな反応はやめて何度でもありえる状況を想定して規則は作るものだ。